風のいざない 第15話  「手品師」      五島朋幸(新宿区)

尾崎コウさんはご主人の豊太郎さんとのふたり暮らし。コウさんは認知症で、上下の総義歯を時々大事にしまいこんでしまう。そのたびに豊太郎さんが捜索隊となって発見してきたのだが、今回ばかりは見つからない。自宅にいるか、デイサービスに行くかのシンプルな行動範囲の中ではあるが、残念ながら見つからず新たに作ることになってしまった。

初診の日、尾崎さん宅を訪問すると、小柄で少し腰の曲がった豊太郎さんがドアを開けてくれた。「どうぞ、どうぞ」

と、とても人のよさそうな笑顔で僕をリビングに案内してくれた。小さなコタツにはちょこんと座るコウさん。豊太郎さんよりもさらに小柄な体で、背を丸くして小さくなっている。

「おい、お前、歯医者さんが来てくれたぞ」

という声に、僕を不思議そうな目をして見る。少なくとも歓待されている雰囲気はない。

「こんにちは、尾崎さん。歯医者です」

とご挨拶。

「おい、歯医者さんが来てくれたんだぞ。お前が入れ歯をなくしちゃったから」

すると表情が曇り、不機嫌そうな表情へと変わった。

豊太郎さんには義歯は製作していくけれども、認知症の方では噛み合わせを記録することが難しく、調整も難しいので、少し時間がかかるかもしれないことを伝え、了承してもらった。

さて、義歯装着の日。いつものように豊太郎さんに先導されてコウさんのところへ。

「尾崎さん、できましたよ。新しい義歯持ってきました」

と声をかけるが、コウさんはポケッとした顔。変わりに豊太郎さんが興味津々な顔で僕のカバンを覗き込む。僕がカバンから義歯を取り出すと、豊太郎さんが

「ほぉ、きれいにできましたなぁ。おい、お前、きれいな歯ができたよ」

その声に、コウさんの表情が少しだけゆるむ。

さっそく口腔内に装着してみる。まずは上顎。吸着はまずまず。そして下顎。意外にもすんなり入った。豊太郎さんから、

「おっ、良いじゃないか。元の顔に戻ったよ」

僕もコウさんの歯の入った表情は初めて見たが、かなり若返る。

「尾崎さん、どうですか。久しぶりに歯が入った気分は」

と笑顔でたずねると、白い歯を見せてニヤ~ッと笑顔を見せた。期せずして3人大笑い。

ただ、問題はここからである。咬合紙を口腔内に挿入し、「はい、カチカチ噛んででください」とお願いしても動かしてはくれない。やむを得ず、コウさんの背中側に回り、後頭部を僕の胸につけ、後ろからオトガイ部を持ち、咬合位に誘導する。最初は力の入っていたコウさんであるが、徐々に慣れてきたのか、こちらが余り力を入れなくても誘導できるようになった。カチカチカチというリズミカルな音に、豊太郎さんも関心があるようだ。

「先生、面白いですな」

何度か調整し、まずまずの噛み合わせができるようになったところで終了。これから使ってもらい、調子悪いところを調整していくことを伝えた。

片づけをしていると豊太郎さんが、

「先生は手品師のようですな」

とポツリ。僕は意味も分からずポカンとしていると、

「僕があんなにカチカチやっちゃうと、こいつに指を噛まれちゃいますよ。あんなことさせるのは先生だけですよ」

「そうですかぁ」なんて答えているとコウさんもこちらを見ている。白い歯がまぶしい満面の笑みで。