歯科界への私的回想録【NARRATIVE Vol.17】 壁を越えた人的交流に新たな展開

4つのグループと貴協会「メディア懇談会」の存在

2023年度も終わる時期になり、歯科界も新たなスタートを切ろうとしています。私も仕事柄、歯科大学、歯科技工士学校、歯科衛生士学校、歯科関連企業などの新入生・新入社員との新たな交流が始まります。

今回は、私が記者として初めて歯科界の門をくぐった1990 年以降、4つのグループ、および貴協会主催の「メディア懇談会」における人的交流を通じて、貴重な財産となった具体例を紹介します。

▼「齲蝕予防領域」グループ

まず、「齲蝕予防領域」グループです。歯科分野の主な臨床領域は外科、補綴、歯周、小児、矯正などですが、異例とはいえ某歯科大予防関係者、歯科衛生士、雑誌編集者などが個人の資格で集い、雑談や意見交換をするステージとしました。

当時は、まだ臨床家にとって予防は関心が薄く、齲蝕予防にフッ化物応用が浸透していない時代でしたが、本来は大事な分野のため、既にその重要性を評価していた臨床家グループとの出会いがありました。

雑談や議論が白熱し、自然と勉強になり、齲蝕予防の背景や海外の予防先進国の事情を知り、その見方と見識も広まり、そこで得たものは現在の私の歯科問題に携わる基本姿勢につながっています。

▼「マスコミ」グループ

次は、ある意味でご法度の「マスコミ」グループです。現在の歯科記者会とは別に、私が書籍編集者、広告代理店営業部員、歯科書籍の卸・営業部員などから抜てきした有志による歯科マスコミのグループです。

ここでは編集者の経験にもよりますが、出版社による違いを実感。多々勉強になりました。

仕事上、送付されてくる書籍は、すべて一読して書評します。中にはその後、全国的に著名になった歯科医師もおり、予想外の展開にさまざまなことを学ぶ機会もありました。

当時はまだ、大学教授を始めとする教員と開業医との区別意識が歴然としていた時代でした。そのため、開業医の書籍刊行は大変珍しく、歯科界でも〝大学〞に一目置かれている時代でした。私のみならず、マスコミの多くは「言ってはいけないことは言わない。これが原則だ」と念を押していました。

▼「歯科界論客交流会」グループ

そして忘れてはならないのが「歯科界論客交流会」グループです。これは、人脈と縁による歯科医師で臨床と医政に強い関心を持つ人に声をかけてできた交流会です。

「地方で論陣を張っている歯科医師が〝酒席での会話で終わり〞では残念だ」との発言から賛同者が次々と現れ始め、「意見対立でも分裂は回避すること」「お互いの意見の相違は認めること」「感情論はなし」などを掲げてのスタートでした。某先輩からは、「歯科は、次世代に移行しないと本当に時代遅れになるし、地味でも勉強はし続けなければダメだ」と激励されました。

私にとっては、国公立・私立、都心部と郊外などの類型を問わず、歯科医師としての熱い思いと意見を聞くためには、欠くことのできない貴重な〝場〞となりました。時には、さまざまな壁・抵抗感・不快な言動もありましたが、それを乗り越えたからこそ、現在の〝財産〞ができたと理解しています。

貴協会の「メディア懇談会」について

最後に、貴協会の「メディア懇談会」について触れます。

元々貴協会は、歯科界から「組織として、保険診療で良質な歯科診療の実現を主張している」と評され、一目置かれていましたが、その貴協会が2008年3月にメディア懇談会を立ち上げるとのことで、これに参加したのが私の貴協会との付き合いの原点でした。

参加は一般紙・歯科専門紙、記者・編集者を問わず、オープン形式での開催でした。一般紙と歯科専門紙では、関心を寄せる問題意識は類似していても、捉え方が違うケースがありました。また、貴協会会長をはじめ、参加した編集者や記者から直接、説明と意見や見解などを聞くことができ、学ぶことも多く、モノの見方も広がり、ここでも新しい出会いがありました。

時間の制約もあり、担当役員との質疑応答が十分にできないことが残念ですがその時の返答から〝喜怒哀楽〞が伝わり、これにも意味がありました。今後の開催に期待しています。

「東京歯科保険医新聞」2024年3月1日号(No.648号10面掲載)

✎奥村勝氏プロフィール

おくむら・まさる オフィス  オクネット代表、歯科ジャーナリスト。明治大学政治経済学部卒業、東京歯科技工専門学校卒業。日本歯科新聞社記者・雑誌編集長を歴任・退社。さらに医学情報社創刊雑誌の編集長歴任。その後、独立してオフィス  オクネットを設立。「歯科ニュース」「永田町ニュース」をネット配信。明治大学校友会代議員(兼墨田区地域支部長)、明大マスコミクラブ会員。