退き際の思考 歯科医師をやめる/「一生働けるわけではない」医院継承の〝反省〟(中野多美子さん【前編】)

【 退き際の思考 歯科医師をやめる/「一生働けるわけではない」医院継承の〝反省〟】

中野多美子さん(元協会会員) ― 前編 後編はこちら

 今回から、歯科医師としての〝引退〟に着目した新たな企画を連載します。すでに歯科医療の第一線を退いた先生や、引退を考えている先生にお話を伺い、引退を決意した理由や、医院継承の苦労、現在の生活などを深堀りします。
 初回は、40年以上もの間、歯科医療に携わり、現在はあきる野市でワイナリー「ヴィンヤード多摩」の専務としてセカンドキャリアを歩む、中野多美子さん。反省する部分があったという医院継承や、異業種へ飛び込んだ現在の暮らしについて、2回にわたり掲載します。

―単刀直入に、歯科医師を引退しようと決めたきっかけは?

若い頃には想像がつかなかった身体的な衰えを実感したことです。例えば、腱鞘炎や視力の低下、また、海馬の衰えによる記憶力の低下です。はじめの頃は、身体の衰えを受け入れられなかったのですが、だんだん老化を認めるようになりました。若い頃にはなかった別のストレスが増え、疲労度も増してきました。そうしたことが積み重なり、真剣に引退を考えましたね。

―歯科医師の場合、視力の低下は特に影響が大きいと思います。

周囲の他科の先生方を見ていると、他科と比べて歯科は手先の動きや目の動きも多いため、引退は早い印象があります。


―周囲には相談されましたか。

具体的に周囲に相談したことはないですが、歯科医師会の先生方とお会いするときに、引退の話はよく話題に上りました。同期の先生方の中には、引退された先生、診療時間を短縮された先生が何人もいらっしゃいました。私だけが特別ではなく、年齢とともに出てくる話だと思いますから、受け入れるしかないと改めて感じました。

「関係がギクシャク…」医院継承を振り返る

―現在は医院を継承されているということですが、そのあたりのお話について教えてください。

継承は、医療人生の中で最後の大きな仕事です。一生働けるわけではありませんので、うまく引き継いでいかなければなりません。60歳頃から継承を考えはじめ、以前から後を継いでくれることになっていた娘夫婦に、具体的に相談していきました。本人たちは、もう少し外でキャリアを積みたかったようですが、お願いして医院に戻ってもらいました。
しかし、実際に医院に戻ってもらうと、診療スタイルの違いが明確に出てきました。「40年培ってきた自分のキャリアは間違っていない」という自負がありましたので、当人たちの診療スタイルを自分の方に近づけようとしました。それが軋轢となり、関係がギクシャクしていきました。スタッフも不安になって、退職される方もいました。今思えば、自分のキャリアに固執して、皆を苦しめたことを反省しています。医院を引き継ぐことと、診療スタイルをどこまで引き継ぐかという点は、棲み分けをもっと上手にできればよかったと思います。
そんな訳で、自分の影響力を無くし、新しい先生が診療しやすくするためには、速やかに引退して、一切口出しをしない、姿を現さないことに決めました。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」です。今は安定した医院の運営をしています。

―中野先生が担当していた患者さんはどうされましたか。

歯科は口腔内という身体に接触する治療ですので、患者さんと深く関わることが多く、引退をお伝えすると『先生辞めないで』と言われることが多々ありましたが、その時は「後を継いでくれる先生をよろしくお願いします」とお答えしました。継続して来院される方も、そうでない方も、新しい先生との相性もありますので、そこは継いでくれる先生にお任せしました。そうして新しい先生のスタイルの医院になってゆくと思います。
(つづく)

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「退き際の思考」を紙面で見る(「東京歯科保険医新聞」2023年12月1日号)