鈴木玉さんは義歯の調子が悪く訪問依頼があった方だった。ひとり人暮らしでリビングには玉さん専用のソファーがあり、そのソファーから手に届く範囲でいろいろなものが置いてある。テレビのリモコン、ティッシュ、急須、ポット、お茶の葉っぱなどなど。僕が訪問する時にはすぐに診療ができるように椅子までセッティングしてある。
「こんにちは。鈴木さん、歯医者です!」と声をかけ、いつものように引き戸を開けようとすると、中から勢いよく開けられた。
「はじめまして、娘の吉江でございます。先生にはいつもお世話になっています」
今日は遠方よりお母様の様子を見にこられたようだ。さっそくいつものように診療開始。
「先生、痛くなくなって大分噛めるようになったわ。先生ありがとうございます」
「それはすごいですね。今日は噛み合わせのチェックをしてあとは様子をみましょう」
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ひと通りの診療が終わり、器具をカバンにしまっていると吉江さんが、
「本当にありがとうございます。ひとりで歯医者も行けないし、あきらめていたんですよ。失礼ですけど、こういうシステムは昔からあったんですか?」
「そうですね。地域差はあると思うんですが、昔からあるんですよ」
「まったく知らなかったわ。多くの歯医者さんがやられているんですか」
「たしかに、メジャーにやられているとは言えませんねぇ。歯医者にとっても気軽にできるというものでもないんですよ。診療室は外来診療の時間が決まっているので、休憩時間や休診日を使って訪問診療されている方が多いんじゃないでしょうか。それだって難しいんですよ。例えば木曜日が休診日だからその日に訪問診療をしますと言っても、利用する方が『その日は病院に行く日ですからだめです』と言われたら終わりだし。なかなか生半可なことではできないんですよ」
「そうですか、なかなか難しいんですね。多くの方がやってくださるといいんですけど」
「歯科医院によっては訪問診療部のような形で訪問診療だけやるようなシステムを作ったりすることがあるんです。それはそれで貴重なんですが、僕は外来診療もやって、訪問診療もやるというのが本来の歯医者の姿だと思うんですよ。外来と訪問診療でお互いにいろんなことがフィードバックできるし」
「先生、私は千葉なんですけどそこまでは来て下さらないでしょう。私はどうしよう」
「そんな先のことですか!それは気の長い話ですね」
と言うと3人大笑い。それまで黙って聞いていた鈴木さんが、
「私はいいの。先生がいるもの」
「お母さんはいいわね!うらやましい」
再び大笑い。