自転車をマンション脇のスペースに止め、3階まで駆け上がる。決して運動不足ではないけれど、これも僕のトレーニング。階段から2軒目に斉藤幸太郎さんの部屋がある。斉藤さんはまもなく90歳でひとり暮らし。肺気腫があるため、鼻からの酸索が欠かせないが、とてもしっかりしておられ、部屋の中は歩いて移動することができる。
ドアフォンを鳴らすと30秒ほどして「カチッ」と鍵を開ける音がする。僕がドアを開けると直立不動、いつものように姿勢良く斉藤さんが立っておられる。僕もいつものように「こんにちは」と頭を下げる。そして、これまたいつものように斉藤さんが満面の笑みになる。
リビングに移動し、小ぶりの食卓に対面して座り、
「斉藤さん、入れ歯の痛みはどうです?」
「えぇ、おかげさまで大分なくなりました。でも少し左下に圧迫感を感じます」
「分かりました。今日も噛み合わせの調整からしていきましょう」
そう言って、僕は診療バッグから調整道具を取り出した。
ひと通りの診療が終わり、手を洗ってリビングに戻ってくると、前にはなかった古びた写真が後ろのカラーボックスの上に飾ってある。セピア色で端は少し破れた写真だが、そこには戦艦が写っていた。確か斉藤さんは海軍にいたと聞いたことがある。
「斉藤さん、これは昔、斉藤さんが乗られていた戦艦ですか」
「はぁ、そうです。大和です」
「えぇ!斉藤さん、大和に乗られていたんですか?戦艦大和ですか。すごいですねぇ」
でも、斉藤さんの表情はまったく変わらなかった。僕のほうは勝手に興奮し、
「僕たちの世代なんて、大和は宇宙に飛び出して行っちゃいましたよ、ハッハッハッ。最近では大和の映画も作られているんですよ。斉藤さん役の人も出てるんじゃないですか」
そんなミーハーな空気も斉藤さんには心地よくなかったらしい。雰囲気を察知した僕はフェードアウト気味に、
「すごいなぁ、歴史の生き証人ですね、斉藤さんは」
という言葉でくくった。すると斉藤さんがゆっくり顔を上げ、年齢を感じさせない鋭い目で正面の僕を凝視し、はっきり、ゆっくりと、
「戦争なんてやってはいけません」
そして静寂。斉藤さんにいつもの微笑が戻った。充分すぎる言葉だった。
それから2カ月後、ケアマネの野村さんから斉藤さんが亡くなったという報告を受けた。頭の中でひとつのフレーズが流れ続ける。
「戦争なんてやってはいけません」。
ひとつの歴史が終わった。
そして、ひとつの教訓がこの世に残った。