ドアホンを鳴らすと、待ってましたかのごとく
「先生、お待ちしていましたよ」
と、家の中から元気な声が。ドアを開けると満面の笑顔で現れた久喜元幸子さん。まだ四十歳代の幸子さんは母親の田辺敏子さんと同居している。
この親子と初めてお会いしたのは、今から半年前。久喜元さんのお宅を訪間した時、福岡でひとり暮らしをしていた敏子さんを引き取ったばかりだった。リビングの横にある小さな和室でお会いした敏子さんは、青い顔でベッドに横たわり、煩は不健康にこけていた。僕たちにとって決して珍しい光景ではないが、まだ七十歳代前半には見えなかった。幸子さんは、
「福岡では、ぜんぜん食べていなかったらしいんです。昔はこの人、太ってたんですよ。昔使っていた入れ歯もあるんですけど…。全然入らないし」
眉間にしわを寄せて話す言葉に、僕までため息が出てしまった。物音もしない空気の中、さっそく敏子さんのお口を拝見。プラークを身にまとった歯が上下3本ずつ。そのうち2本は不自然に傾斜し、動揺もしていた。舌も真っ白で、口全体にピンク色を感じない。
「お母様は、普段どうやって栄養をとっているんですか?」
何か僕が悪いことを聞いたかのように、幸子さんは少し不満顔になり、
「ヨーグルトとか栄養ドリンクしか飲めないんですよ。食べられないんですから、しょうがないじゃないでずか」
怒りの矛先は完全に僕のほうに向いていた。こちらもちょっと面白くない。気持ちは分かるけど。
呼吸を整え、残す歯、抜く歯を判断し、悪い歯は早く抜き、残す歯を清潔に保つこと、そして早く入れ歯を作ることなどを説明していった。幸子さんの表情から、ようやく軽い笑顔が出てきた。眉間のしわは少し残して。
その後、敏子さんの治療は順調に進み、初診から3カ月後、上下に新しい義歯が入った。調整も無事に終了し、3カ月に1度の訪問へと移行した。
*
幸子さんと一緒に奥のリビングに入る。そこには、3カ月前とは別人のように健康的でふくよかな敏子さんが腰掛けている。
「お母様!太ったんじゃないですか」
「そうよぉ、このあたり、これだもの」と言っておなかをつまむ。
「最近なんでも食べるのはいいんだけど、リハビリの先生にも食べ過ぎだって怒られるんですよ」
と、笑いながら困った顔の幸子さん。
ひと通りの入れ歯チェック後、
「お母さま…」
敏子さんも幸子さんも心配顔で僕のほうを見る。
「訪間はもうこれで終わりです」
思わず幸子さんが、
「先生に定期的に診ていただけると助かるんですけれども…」
と困った顔で僕に訴える。僕はゆっくりと、
「今度は診療室で待ちしています」と言うと、親子が顔を見合わせ、
「そうよねぇ~」
と3人大笑い。