久田一男さん82歳は8年前からパーキンソン病で寝たきりである。奥さんは早くに亡くなられているので、ひとり息子の友一さんが介護をしている。とはいえ、友一さんも仕事があるため、日中はヘルパーさんにより生活が支えられている。僕たちがかかわったのは3年前から。残存する歯が多い一男さんの口腔ケアが目的である。定期的には歯科衛生士の原田さんがケアに入り、僕は3カ月に1度チェックに入り、継続したケアを行っている。
夏のある日、原田さんが慌てたように僕に報告をしてきた。
「先生、久田さん、大変です!最近すごく痩せられたんです。全然食べられてないみたいです。早めに診てください」
進行性の病気とはいえ、前回診察した時はお元気そうだっただけに、少し意外な報告だった。そこで、次回の原田さんの訪問に合わせて、僕も訪問するようアポイントをとった。
久田さんのお宅にうかがうと、いつものように友一さんが仕事を抜け出し、僕たちを笑顔で迎えてくれた。通された部屋には、顔色が悪く、骨格が浮き出た顔になってしまった一男さん。さすがに言葉が出ず、友一さんの顔をうかがうと先ほどの笑顔はまったく残っていなかった。
「友一さん、最近お父様はどれぐらい食べられているんですか?」
「私は昼間いないので分からないのですが、ヘルパーの方はいつものように食べているっていうんですけど…」
原田さんの顔は明らかに「全然ですよ!」と訴えていた。とりあえず、いつも一男さんが食べているという「舌でつぶせるレベル」のサンプル食品を原田さんに用意してもらった。さっそく態勢を固め、一男さんに声掛けして食べていただく。目を開け口を開けてくれたのでティースプーンに軽く食品を盛り口腔内に入れていく。軽くもぐもぐする仕草はあったが、そこで終ってしまった。もちろん、口の中から少しも減っていなかった。あまりの状況に困惑していた時、原田さんが、
「水沼さんにみてもらいましょうか」
水沼さんは僕たちの地区で活躍する管理栄養士で僕たちとも親しい。友一さんに水沼さんの話をして、一緒にみてもらうことにした。
1週間後、水沼さん、原田さん、そして僕の3人で訪問することとなった。水沼さんにはこれまでの経緯などを話しておいた。さっそく、一男さんのベッドサイドに行くと水沼さんは上腕の太さなどを計測し、体重や現在の食事状況などを友一さんに聞いた。
「今の話から考えると、500キロカロリーも摂れてないかもしれませんね。もう少しお口からスムーズに栄養を摂れる方法を考えてみましょう」
そういうと、カバンから哺乳瓶の先にストローが付いたようなボトルを取り出し、サンプルで持ってきた嚥下食を入れた。一男さんのベッドをゆっくり起こし、約45度くらいまで上げ、両脇にバスタオルを押しこみ、体を安定させた。ゆっくりストローを口の中に入れると、ボトルの脇を軽く押した。ストローを通して嚥下食が口の中に入っていく。すると、一男さんが力強く「ゴクッ」。期せずして全員から「おぉ~」と声が漏れた。
「こういう方法でゆっくり食べてもらいましょう。まずは栄養を摂ってもらうところからですね」
一同大きくうなずいた。