きき酒 いい酒 いい酒肴 No.32『「生々流転」横山大観画伯が愛した広島の銘酒「醉心」「生々流転」「せいせいるてん」』(機関紙2018年9月1日号/No.582号)
一度は聞いたことがある言葉ではないでしょうか。本来、すべての物は絶えず生まれては変化し移り変わっていくことで、「生生」は物が次々と生まれ育つこと、「流転」は物事が止まることなく移り変わっていく意味があります。
また、明治元年に生まれた日本画の巨匠、横山大観画伯(1868~1958年)の大正期の名作で、日本一長いとされる画巻の題名「生々流転」でもあります。
今年は横山大観画伯生誕150年に当たり、去る2018年4月14日より5月27日まで「生々流転」は、東京国立近代美術館に展示されていました。 深山幽谷から水の滴が生じて集まり川となり、水量を増して雄大な大海に注ぎ、最後には竜の姿となって昇天していくという水の一生を描いた絵です。全長は実に40.7メートルにも及び、全巻をひと続きで見られるのは9年ぶりとのことでした。
ところで、横山大観画伯に縁深い酒蔵が広島県三原市にあります。創業万延元年(1860年)の「醉心(すいしん)」です。三原のお酒は、古来は万葉集の歌に「吉備の酒」として詠まれており、また、瀬戸内海沿岸山陽側のほぼ中央に位置し、毛利元就の三男、小早川隆景の築いた三原城の城下町で、海上・陸上の交通の要衝でした。
大観が生涯、最も愛飲したお酒が「醉心」でした。大観にとって醉心は主食であり、米飯は朝軽く茶碗一杯口にする程度で、その他は「醉心カロリー」を採っていたといわれています。
昭和初期のことです。東京神田の「醉心山根本店 東京支店」に連日お酒を買いに来る上品な女性がいらっしゃいました。その方が大観の夫人だったのです。醉心三代目山根薫社長が大観の自宅に伺ったところ、「酒造りも絵画も芸術だ」と意気投合し、感動した薫社長が一生の飲み分を約束したのだそうです。それ以来、大観は醉心に毎年一枚ずつ作品を寄贈するようになり、「大観記念館」ができ上がりました。
大観は1958年(昭和33年)に89歳で生涯を終えましたが、第二次世界大戦の時にも「醉心は主食である」と、東京まで酒を送ってほしい旨を山根社長に手紙をししため、当時の五島慶太大臣に運送の取り計らいを依頼したこともあったということです。 晩年、薬や水さえ受け付けなくなり重態となった時でも、醉心だけは喉を通り、それをきっかけに翌日からは果汁やお吸い物、一週間後にはお粥を食べられるまでになったという記録も残っているそうです。
広島の酒造りは「軟水仕込み」が特徴で、ミネラル分が少ない軟水で造られた酒は、醗酵が穏やかに進み、口当たりのまろやかな味わいになります。
なお、9月末に東京歯科保険医協会で開催される女性会員交流会では、醉心の蔵元さんが遠路はるばる広島より駆けつけてくださいます。横山大観画伯に「醉心のお酒は一つの芸術だ」と評された甘露な旨味を、ぜひ記念すべき生誕150年の年に、蔵元さんの貴重なお話しとともに、楽しんでいただきたいと思います。
(協会理事/早坂美都)