映画紹介№29「 あ ん 」
【2015年日・独・仏合作/河瀨直美監督作品】
「このアルバイト募集」
「本当に年齢不問なの?」
映画は、13歳のころ軽いハンセン病を患い、そのまま60年も療養所に強制収容されてきた老女が、76歳にして初めて外の世界に挑み、働く、生きる、自由とはどんなこと?と、人間の大事な重い課題に触れる感動のドラマです。
療養所から出ることを夢見ている76歳の徳江さん、刑務所から自由になったものの借金の返済に追われているどら焼き屋の店長さん、母親ひとり親家庭の15歳の少女。籠から逃げたい黄色いカナリヤ。そして花満開の桜、葉桜、紅葉と移り変わる美しい季節が、この物語を紐解くキーとなります。垣根の外に出られないと、わかった時の苦しそうな眼差し。それが3人に共通する眼差しです。
映画は店長がマンションの屋上から、この映画の舞台となる桜の花が満開の早朝の街並みを、タバコを片手に見渡しているところから始まります。
葉桜に変わった頃のある日、アルバイト募集の張り紙を見て店先に老婆が現れます。
「おいくつですか?」
「満で76歳」
「その歳では、無理だと思うんで…」
店長はやんわりと断わってしまいます。しかし、夕方に、また老婆が現れます。
「さっきもらったどら焼き食べてみたの」
「皮はまあまあだと思うのよ。ただ、あんがね…」
「あん 作ったことあるんですか?」
「ずっと作ってきたの」
こうしてハンセン病の後遺症で指が曲がって不自由な手の徳江がどら焼き屋で働くことになります。
徳江の作るあんは大評判。店の前に行列ができるほどになります。しかし、いいことはそう長くは続かず
「徳江さん ハンセン病じゃないかって」
「どこに住んでいるの?」
「人に知られたら、この店終わりよ」
案の定、徳江がハンセン病を患っていたことが近所に知れ渡り、客足は一気に遠のいてしまいます。
「こちらに非がないつもりで生きていても」
「世間の無理解に潰されてしまうことがあります」
ハンセン病は非結核性抗酸菌の一種で、らい菌が皮膚のマクロファージ内や抹消神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症です。感染経路は経鼻、経気道。感染力は非常に弱く、2007年の統計によると、日本では年間0か1人で皆無に近い状況です。
1996年にらい予防法は廃止されましたが、断種、堕胎という人権蹂躙、入所時には持ち物を奪われ、名前さえも奪われたそうです。
ハンセン病の歴史は古く、紀元前後の時代を背景にした映画「ベンハー」では「死の谷」にたむろする患者、宮崎駿の「もののけ姫」松本清張の「砂の器」でも話題になりました。
現代のHIV感染症なども含めて、感染症医療は差別の温床になりかねず、取り組みや啓蒙には細心の注意が必要です。
映画はカンヌ映画祭をはじめ、多くの映画祭で賞を獲得しました。老女を演じるのは樹木希林。差別や偏見に抗うのはとても難しく、胸が苦しくなります。
「あっ、鳥だ!」
「鳥は自由でいいなあ」
「わたしも陽の当たる社会で生きたい」
(協会理事/竹田正史)