映画紹介№30「いしゃ先生 」
【2015年日本作品/永江次郎監督・作品】
「この村さ戻って 診療所やってくれないか」
「こんな見習いの身で 診療所の医者なんかできない」
映画は、東京女子医学専門学校を卒業し、無医村の故郷の医療に尽力した新米女医、志田周子(しだ・ちかこ)のものがたりです。
舞台は戦前戦後の日本の動乱期から混乱期。山形・左沢(あてらざわ)から峠を越したところにある山間のへき地、大井沢村(現・西川町)です。冬には雪が3メートルも積もり、周りから閉ざされてしまう山形屈指の豪雪地域です。
当時は車も電話もなく、手紙が唯一の通信手段。急な連絡は、電報という時代でした。村人が医療を受けるには、患者をそりに乗せ、数十キロもの峠を越え、左沢の病院に運ばねばなりませんでした。
映画は昭和10年、父から「スグカエレ」の電報を受け取って、美しい紅葉の故郷、大井沢村に周子が帰って来るところから始まります。
小学校からは「♪ウサギ追いし/かの山~」の唱歌が聞こえ、教室の後ろの壁には、この映画の主題でもある「希望」や「道」と書かれた子どもたちの習字が何枚も貼り付けられています。
無医村の大井沢村に医師を置きたいと願う父は、代わりの者を見つけるまで3年間、村の医者をしてほしいと周子に頼みます。
周子は26歳で医者になったばかりで、未熟な自分に診療所の医師が務まるはずがないと不安だったが、父を思い、無謀な頼みに「三年間だけなら…」と、屈してしまいます。
しかし開業したにもかかわらず、診療所には当日も、次の日も、また次の日も村人はやってきません。
「あれが噂の女医者だっちゃ」
「いっちょ前でない医者に誰が命預けられるか」
「お金いっぱい請求されるとな」
悪い噂が飛び散り、村人と打ち解けることができない日々の中、死ぬかもしれない病人がいると聞いて訪問するものの、
「帰ってけろ」
「カネないからな」
門前払いを喰ってしまいます。あるいは、
「肺結核の疑いがあります」
「心配ねえ ただの風邪だ二、三日寝てれば治る」
そんな折、心臓発作を起こした第1号の患者が駆け込んで来ました。
「助けてけろ」
「ヨシさん!聞こえますか?」
蘇生させようと何度も何度も胸に拳を叩きつけますが、ちっとも反応がありません。
「ダメか」と諦めかけたその時、ヨシさんは息を吹き返しました。
それもつかの間、今度は
「これは盲腸炎です」
「すぐに左沢の病院へ」
その夜、雪の中、10人の男たちが箱そりで峠を越える途中で、患者は手遅れで死んでしまいました。
その後も、産婦人科の知識不足、自分の母の命さえ救えなかったことも加わり、なかなか村民にはその技量、思いを認めてもらえませんでした。
3年経って、村人の医療への偏見や拒絶、両親の死と降りかかる試練を乗り越え、恋人とも決別し、この地に生涯とどまる決断をします。
「私の夢は、誰でも医者にかかれる日がくることです」
「命だけは平等だと思うからです」
昭和36年4月1日、国民皆保険が制定されました。志田周子は翌37年1月、それを見届けるかのように天国へ旅立ちました。凛とした主演の平山あやが美しい。
(協会理事/竹田正史)