【日本とドイツは歴史的に最も早く公的医療保険制度を整備】
◆歯科での導入例も
日本の歯科医療は、公的医療保険での給付範囲が広いのが特徴です。これに対して、ヨーロッパの多くの国は、日本よりも豊かな財政環境にある国も含めて、成人への歯科給付は行わないのが普通です。
伝統ある医学雑誌「ランセット」(2018年7月発行)が歯科口腔保健を特集した際には「歯科疾患の罹患率が高いのに公的給付されていない国が多く、予防的な配慮も不十分」と指摘しました。
しかし、これは「歯科医療を軽視している」というわけではなく、公的医療システムの目的によるものと考えられます。公的医療システムは「病気になると貧乏になる」のを防ぐ制度であり、多くの国で歯科医療への給付が限定的なのは、歯科治療への支出が、極端には家計を圧迫しないと考えられてきたためだと思われます。
歴史的に見ると、世界で最も早く公的医療システムを整備した国はドイツと日本で、当初は、工場や鉱山の労働者を対象に、「病気や怪我で働けなくなる事態に備える」というもの。
第二次世界大戦後には、イギリスの国営医療(NHS)を筆頭に、公費で医療を賄う制度が北欧諸国などで整備されていきました。
当初は、医療技術が未発達で治らない病気も多かったため、給付範囲が限られている反面、働けなくなった分の生活費を補填する傷病給付金が重視されました。
医療の財政難は高齢化だけでなく、医療技術の発展で「治る病気」が増加し、給付範囲が広がったことも要因です。
医療技術が未発達だった時には収入の補填が中心だったのが、技術発展の結果、医療本体への給付にシフトしてきた経緯があるのです。
何を給付するかの取捨選択では「家計をどれだけ圧迫するか」が重視されたと考えられ、比較的、費用が安かった歯科治療は後回しにされた経緯があったものと考えられます。
しかし、小児う蝕をはじめとする歯科疾患が、社会的な格差に関連していることが明らかになり、公的給付が広がっています。カタストロフィー 保険という選択肢 近年、医療の財政難に対応すべく、さまざまな改革案が出されていますが、その1つに「カタストロフィー保険」があります。
これは、文字通り、「医療費で家計が破綻(カタストロ)するのを防ぐ」もので、一定額までの日常的な治療や投薬には給付しない一方、一部の高額医療には、そのほとんどを保険給付するという制度です。すでに、スウェーデンでは「成人歯科給付制度」が取り入れており、う蝕治療は完全に自己負担ですが、インプラントなどには、実に85%もの給付率となっています。しかし、これだと大多数の症例が給付対象外となるため、多くの人が制度の有難みを享受できないことになります。
日本でも、薬局で買える薬を公的医療から外す動きがありますが、これもカタストロフィー保険の1つであるといえます。
【略 歴】水谷惟紗久(みずたに・いさく): 株式会社日本歯科新聞社『アポロニア21 』編集長。1969年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。慶応義塾大学大学院修了(文学修士)。早大大学院修了(社会科学修士)。社団法人北里研究所研究員(医史学研究部)を経て、1999 年より現職。著書に「18世紀イギリスのデンティスト」(日本歯科新聞社、2010年)など。2017年大阪歯科大学客員教授。2018年末、下咽頭がんにより声を失う。