第8回 大規模な防疫は医療か?

防疫対策で費用対効果を考えることは困難】

◆「新型コロナ対策」に関する費用対効果 

感染症や精神病にかかった人を隔離することは、病院が出来た当初の役割の中心でした。これらの防疫を実施するのは、必ずしも医療従事者とは限りません。

実際、明治時代の日本でコレラが流行した際、病人を見つけて「避病院」という隔離施設に連行するのは警察の役割でした。

大規模感染症は「社会全体の脅威」ですから、個々の患者さんが治るかどうかは大きな問題ではなく、感染を広げないことが防疫の第一命題。つまり、通常の医療と防疫は質的に異なっているのです。通常の医療は「商品」だからこそ、費用対効果の考慮が重要です。

一方、警察、場合によっては軍隊も関わるような防疫では、中国で叫ばれた「防疫戦争に勝ち抜け!」というスローガンに象徴されるように、費用対効果を考えるのは困難です。ドイツやイギリスでは「新型コロナウイルスに国民の大多数を感染させ、集団免疫を得てはどうか?」という施策が検討されたりしました。

このように膨大な損害を許容しうるのも、防疫が戦争に近いものだからだといえます。「ポストコロナ」の社会はCOVID―19流行の前後で、医療を含めた社会のあり方が大きく変貌するのは確実だと思われます。

小社では、WEB会議システムの「ZOOM」を使ったWEB取材が増えてきています。歯科診療所では、遠隔診療をはじめ医療現場でのスマホの活用が大幅に拡大する可能性があります。

遠隔診療には「近隣のクリニックを受診する人が減る」という懸念がある一方、今後、歯科診療所数が急速に減少すると予測される地域での訪問診療や巡回診療などでの活用が期待され、全体的には、医療の費用対効果を改善する方策と見る向きもあります。

また、新型コロナウイルスのワクチン開発を切望する声が日増しに高まっています。日本は、ワクチンの普及に慎重な国として知られていますが、「インフルエンザなどでの定期接種を拡充すべきだ」との意見も見られます。ワクチン慎重論の根拠は「副反応で苦しむ人がいる」というものですが、ヨーロッパで浮上した集団免疫の考え方からすれば「社会のためだ。個人の都合など知らない」という極論もまかり通ってしまうかもしれません。ワクチンとは人工的な集団免疫に他ならないからです。

これから先、「ポストコロナ」の社会が、人々にとって住みにくいものにならず、新しい可能性を拓くものであることを祈りたいと思っています。

 

【略 歴】水谷惟紗久(みずたに・いさく): 株式会社日本歯科新聞社『アポロニア21 』編集長。1969年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。慶応義塾大学大学院修了(文学修士)。早大大学院修了(社会科学修士)。社団法人北里研究所研究員(医史学研究部)を経て、1999 年より現職。著書に「18世紀イギリスのデンティスト」(日本歯科新聞社、2010年)など。2017年大阪歯科大学客員教授。2018年末、下咽頭がんにより声を失う。