【 退き際の思考 歯科医師をやめる ① 自作の〝閉院計画〟 「前倒し重ねた」引退決意後の変化 】
古田 裕司さん(元協会会員) ― 前編 ※後編はこちら
歯科医師としての〝引退〞に着目した本企画。すでに歯科医療の第一線を退いた先生や、引退を考えている先生にお話を伺い、引退を決意した理由や、医院承継の苦労、現在の生活などを深堀りする。今回は、開業から約30年、還暦を迎える直前に閉院を決めた古田裕司さん(63歳)の前編。〝周囲よりも早かった〞という引退のタイミングや独自の〝閉院計画〞について語ってもらった。
―引退はいつごろから考えていましたか。
私が大学を卒業する頃は、「人口2,000人に対して歯科医師1人」という当時の厚生省の政策目標が達成され、歯科医師が多くなることが見込まれた時代でした。その後、勤務医として4年間勤め、28歳で開業しました。同級生の中には法人化して医院を拡大した人もいますが、歯科医師数が過剰になると予想した私は当初から医院を大きくすることは考えておらず、開業直後から60歳で一線を退くことをおぼろげながらにイメージしていました。
―最終的に引退を決断したきっかけは。
58歳の時、診療中に体調を崩し、救急車を呼んだことがありました。診療外でも何度か同じようなことがあり、60歳頃に歯科医師を辞めることを決めました。
―医院の承継などは考えましたか。
2歳年下の妻も歯科医師で、二人で医院経営をしていましたが、歯科医師が増えることを予想して、次の世代に医院を譲ることはやめておこうと決めていて、結果的に娘は獣医師になりました。妻が一人で続ける選択肢もありました。でもその頃、いつも妻が診ている患者さんを僕が診た時にう蝕を見つけて、「妻の目も見えづらくなっているかも」と気が付いたんです。妻も老眼になりつつありました。そうしたこともあり、一緒に歯科医師を辞める決断をしました。
閉院の準備治療方針にも変化が
―閉院の準備はいつ頃から。
本格的な準備は、2020年のはじめ頃、59歳の時です。当初は、1年後の2021年3月31日で閉院しようとしていました。しかし、辞めると決心すると不思議と仕事に身が入らないんです。歯科医師の仕事はとても神経を使うので、気持ちが続かないとできません。ですから、今度は20年7月の60歳の誕生日で辞めようと時期を早めましたが、さらに前倒しを重ね、結果的に20年3月に閉院しました。
―結果的に約1年の前倒し。決心してからすぐの閉院だったのですね。
とはいえ、若い頃からいつかは閉院するであろうことが頭にあったので、15年頃から10年カレンダーを作成して、閉院計画を立てていました。引退に向け「残り〇カ月」と記してイメージしていましたし、学校歯科医を辞めるなど、やらなければならないことを計画的に進めていきました。長期的なメインテナンスが必要となるインプラント治療なども扱うことを止めるなど、治療方針にも変化がありましたね。
―患者さんにはどのように説明しましたか。
辞めると決めてからは、すぐに患者さんに打ち明けはじめました。年配の患者さんから「続けてもらわないと困る」と、お叱りを受けたこともありました。生活圏が定まっている方にとっては仕方がないことかもしれません。それでも、自分の病気のことなども踏まえ、スパッと辞めることが一番良かったと思います。若い患者さんからはすんなりと受け入れられ、他院の先生を紹介する形を取りました。あまり大事にしたくないということを念頭に、手紙を含め、計20〜30人に閉院を伝えたでしょうか。閉院後もしばらく電話がかかってきましたが、看板を下ろして、軒先の診療案内もテープで目隠しすると、途端に連絡が減りました。張り紙でお知らせすると、「また再開するのでは」と勘違いされてしまうので、多少費用はかかりますが、看板を下ろすのが良いと思います。それでも商店街で患者さんに会うと、「どうして辞めたの」と聞かれることはありますね。
―その後、診療に従事されることは。
後輩が病気を患い、2カ月ほど医院を手伝いました。その後、後輩が亡くなってしまい、医院承継を打診されましたが、これからの自由な人生を送るためにも、歯科医師としての第一線を退いたので、お断りしました。
―閉院後の医院を貸し出すことなどは考えましたか。
内装はかなり黒ずみ、ボロボロになってきて剥がれているところもあります。医院を続けるには一新しないといけない状況です。開業14年目にユニット2台と、内装を新しくしましたが、診療をするなら1千万円以上の改装費用がかかります。また、今の基準をクリアしないといけないので、賃貸は考えませんでした。(つづく)
※次回は「最も大切」と話す引退後の資金面について伺います。(後編を読む)