「息子の方が優れていた」親心溢れる父の“潔さ” 幼少期から育んだ信頼関係で医院託す(石田昌也さん【前編】)
「息子の方が優れていた」親心溢れる父の“潔さ” 幼少期から育んだ信頼関係で医院託す
石田昌也さん(石田歯科医院副院長) ― 前編
歯科医師としての“引退”に着目した本企画。すでに歯科医療の第一線を退いた先生にお話しを伺い、引退を決意した理由や、医院承継、閉院の苦労などを深堀りする。今回は、杉並区上荻にある石田歯科医院の副院長、石田昌也先生。1975年に開業し、“地域に根ざした歯医者”を目指し、患者から親しまれる歯科医院を一代で築いた。2009年に長男の博也先生と院長を交代し、現在は副院長として医院経営を支える。持病と闘いながらも「悔いがない」と語る歯科医師人生や、親子間の医院承継に大切なことなどについて、妻の光子さんとともに回顧していただき、前後編2回に分けて連載する。
「退き際の思考」を紙面で見る(「東京歯科保険医新聞」2024年5月1日号)
―歯科医師として、一線を退こうと思ったきっかけは。
昌也先生:長男が歯科医師になり、静岡で勤務医として5年間働きました。その後、東京に戻り、一緒に診療をはじめて2年ほど経った頃です。私自身は、開業した時から一代限りで閉院しても構わないと考えていましたが、息子の治療や患者さんへの対応を見て、「これなら息子一人でやっていける」と思い、引退を考えました。私は30年あまり前から持病があり、通院しながら診療にあたっていたこともあったので、少しずつ現役を退いていく方向を考え始めましたね。
―引き継ぎにあたり、準備はどのように進めましたか。
昌也先生:2年ほどかけて管理者や開設者、その他金融機関や労務関連などさまざまな変更手続きをしましたが、「メインバンクだけは変えないように」と、息子に伝えていました。これまで長年続いてきた銀行との信頼関係をそのまま維持することで、医療機器の入れ替えなど大きな出費への備えにもなりますし、今後の医院経営を見据えても、息子自身にとっても良いことだと考えたからです。
―当初、息子さんと一緒に診療に携わってみていかがでしたか。
昌也先生:今まで通っていた患者さんは私が、新患はすべて息子が診るようにしました。そうすることで、患者さんを引き継ぐ苦労がありませんし、患者さんを取り合うようなこともなかったです。技工の模型や治療の技術を見ても息子の方が技術的に優れていて、静岡でしっかり経験を積み、勉強してきたことがわかりました。相性の問題もあり、歯科技工所は自分がやりやすい取引先に変えていましたが、治療内容で揉めるようなことはありませんでしたし、仕事に限らず、子どもと争ったことがありません。
―昔から親子関係を大切されてきたのでしょうか。
光子さん:子どもが小さい時から、夏休みに夫が計画を立てて、必ず家族旅行に出かけていました。2人の息子が高校を卒業するまで続きましたが、朝からテニスにプールと、いろんなことを楽しみたい夫に対し、宿でのんびりしたい子どもたちが初めて「なぜ予定を決められなきゃいけないのか」と反抗したんです(笑)。“争う”といえばそのくらいだったでしょうか。
昌也先生:今でも息子家族と定期的に会食をして、良い親子関係ができています。同じ仕事を引き継ぐからこそ、親子関係は大切だと思います。息子同士も大きな喧嘩をしたことがないし、未だに仲が良く、互いを認め合っています。
―信頼関係を軸に、院長交代まで順調に準備が進んだようですね。
光子さん:ただ最初のうち、息子は自分が担当する患者さんがいなかったので、ギャップを感じたみたいです。「ほかでバイトをしよう」とか、診療時間の延長や日曜診療を提案したり、少し心が揺れていた気がします。
昌也先生:その気持ちは理解できましたが、「ちょっと待って」と声をかけました。今は若いから良いけど、診療時間を延ばしたりするのは年を取ればだんだんときつくなる。自分の体やプライベート、家族サービスも大切にして「今のペースで続けたほうが良い」と、自身の経験をもとに助言しました。
無借金で承継を―内なる父の思い…
―その後、実際に院長を交代してみてどうでしたか。
昌也先生:診療以外の経営まわりのことをすべて一任しました。スタッフの採用面接などもすべて息子が担当しましたし、一切口を出しませんでした。医院経営は大変だったと思いますが、そういうことが好きなタイプに見えましたね。
光子さん:やっぱり医院に親がいるのは照れくさいじゃないですか。そんな時に夫が骨折して、コロナ禍も相まって医院を訪れる頻度が減りました。スタッフさんに聞くと、息子が「変わった」と言うんです。仲の良い親子とはいえ、父の目もなく自分の思い通りにできるとなると、良い意味で気持ちの変化もあったんだと思いますね。
―引き継ぎにあたり一番大切にされたことは。
昌也先生:医院には借金が残っていました。息子に引き継ぐにあたり、どうにかしてこれをゼロにしたかった。親子でなくても、やはりお金は一番問題になる部分。私は私、息子は息子と切り分けて、妻と協力してなんとか借金を完済することができました。
光子さん:子どもに対する思いは、人一倍強い夫です。息子の夢を絶つようなことはしたくないと、持病の詳しいことは子どもたちが学生のうちは伏せておきました。長男の学費や次男の留学、出費がかさむ時期だったけど、子どものためなら不思議となんとでもなるんですよね。
昌也先生:考え方は人それぞれですが、自分でたくさんのお金を抱え込むと、やはりトラブルが起きてしまうのかなと。私の人生観としては、死ぬ時にお金を持っていけるわけではないから、自分が生活できる程度でお金を持ちつつ、あとは家族に分け与えていきたいと思います。前はマンションに住んでいましたが、ライフステージに合わせて住むところを移していくなど、そうした人生設計を描きながら過ごしてきました。(つづく)
後編は、「助けられた」と語る協会との関わりについてお届けするー。
「退き際の思考」を紙面で見る(「東京歯科保険医新聞」2024年5月1日号)
#インタビュー #連載 #退き際の思考