私の目に映る歯科医療界⑧ 歯科口腔保健法10年の成果と課題/医科と共同戦線組み歯の健康予防前進を

歯科口腔保健法10年の成果と課題/医科と共同戦線組み歯の健康予防前進を

2021年は、国民皆保険制度始動から60年目、「歯科口腔保健の推進に関する法律」(以下、「歯科口腔保健法)」の制定から10年の節目の年であったが、果たしてこの10年の間に、歯科口腔保健法は十分な成果が上がったのだろうか。新型コロナウイルス禍や政治の激変に紛れて、この検証はすっかり忘れ去られてしまっている。

Ⅰ.検診率のアップなど法律の成果は道半ばの状況

歯科口腔保健法は歯科口腔保健の推進に的を絞った法律としては本邦初で、コンセプトも歯科疾患の事前予防を通じて最終的に国民の健康格差の縮小を目指すという、ある意味、歯科医療界だけでなく、国民にとっても画期的な法律の誕生だった。

この法律は、目標実現のために関連知識等の普及啓発、定期的な歯科検診の推奨、予防措置、調査・研究の推進などの施策を組み込む形になっており、歯科医療界の期待も大きかった。

しかし、現時点では手放しで成功とはいえない。確かにこの法律と同時並行で進む、いわゆる「8020運動」の成果もあって、高齢者における「歯の健康」の改善効果は出ている。8084歳での平均残歯数は2011年の12.2本から16年には15.3本に増えた。しかし、それでも北欧スウエーデンなどの先進国の水準と比べれば、まだ追いついていない。

本紙本年9月号(第618号)本欄でも指摘をしたが、高齢者の歯科治療ニーズは高いが、それに十分に歯科医療界が応え切れていない現実があることも、この法律の成果と関連づけて強調しておきたい。

何よりも、「歯の健康」予防推進に大きな役割を果たすはずの日本の歯科診療受診率は2019年度は16%弱という、厚生労働省のデータを基にした歯科機器メーカーの松風の推計がある。歯の定期的検診を受ける回数では、欧米などの先進国にまだ見劣りする。

乳幼児や児童・生徒世代の歯科健診は義務化されているが、働き盛りの現役世代から74歳までは、40歳、50歳、60歳、70歳の節目に市町村が歯周疾患検診を実施してはいるが、研究者の間からは、2015年度段階のその平均受診率は4%台にとどまっているとの推定が出ている。法律の狙いほどには、日本の歯科検診率は上がっていないのが現実だろう。

Ⅱ.口腔の健康と全身疾患の関係示す研究進む

口腔保健の予防推進によって、健康に過ごすことができる健康寿命を延ばすこと。歯科医療界や厚生労働省などの関係者がこの法律に期待したのは、まさに、このことだったはずだ。死ぬまでの寿命ではなく、いかに長く健康で暮らせるかが、本来、人にとって大事なのは当然のことだ。口腔状態が糖尿病などの様々な疾患と密接な関係があり、人間の身体的健康全般の改善にも影響するという科学的なエビデンスが当時、既に広がっていたことが、歯科口腔保健法制定の背後にあったことは間違いない。

この10年間では医学・歯学両方の研究が進み、この点を裏付ける、あるいは示唆する成果が増えている。

特に、歯周病を引き起こす口腔内の「悪玉」細菌の研究はホットな分野になっている。この細菌は、血管を通じて全身を駆け巡り、人体の各臓器に炎症などの〝悪さ〟を引き起こす。大腸経由で脳血液関門という狭い関所を通過し、脳内の炎症を促し、アルツハイマー型認知症など、中枢神経系の変性疾患に何らかの作用を及ぼしていることを示唆する研究も進んでいる。

米国ではこの仮説に基づき、実用化を目指して人に開発薬を投与し、その有効性や安全性を確認する最終臨床試験(治験)に進んでいるものも出ている。

Ⅲ.歯科健診の組み込みなど医科と予防で共同戦線を

少子高齢化の進展と高額薬剤の増加を背景に、歯科も含めた国民医療費の増加圧力は増す方向にある。

その一方で、国の予算には制約がある。その中で難題ではあるが、先の法律が目指した歯科も含めた予防医療を前進させるためにも、具体的な施策への予算を増やすことは不可避だ。

歯周病と他の疾患との関係を調べる研究や、そこから派生する疾患治療薬の開発などへの国の支援も必要だ。医科と歯科という従来の〝境〟を横断する施策も、この新しい予防分野では増えてくるだろう。

今年度末までに結論を迫られている次期診療報酬改定では、医科と歯科に分かれた従来の予算の枠取りは依然有効だろうが、研究開発や健康予防措置に投じる予防医療への予算では、医科、歯科の両医療界の敷居にこだわるあり方を変える必要があるのではないか。

研究開発もそうだが、予防措置も医科、歯科の境界をまたぐ措置が必要だ。例えば、働き盛り世代の歯周疾患等健診を、会社などで毎年実施する健康診断に組み込むことだ。この構想自体は、既に検討課題に挙がってはいるが、実現はまだ先のことだ。会社の健康診断のメニューには、眼科や耳鼻科領域の項目はあるのに、歯科健診がなくていいという理由は乏しい。人生で働き盛り期間中心の約40年間の国民の健康増進・予防のためにも、先進国として政府が率先して歯科健診受診率の向上を図る必要があるはずだ。

医科と歯科の従来の縄張り・意識の壁が、もしここで邪魔をしているのだとしたら、国民の健康と安全のためにも、大きな損失につながる由々しき問題だ。

歯科医療界から医科と共同戦線を張れるものがないのか、歯科口腔保健法の施行10年の節目の年に当たって、じっくり再考し、積極的に提案してみてはいかがだろうか。

筆者:東洋経済新報社 編集局報道部記者 大西 富士男

「東京歯科保険医新聞」2021111日号10面掲載